小竹 凱
Kai ODAKE
自己紹介
誕生日:1998年5月17日
身長:186cm
体重:80kg
出身地:石川県金沢市
家族:妻と2人暮らし
座右の銘:「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」
趣味:読書・スポーツ観戦
尊敬する人物:野村克也
経歴・職歴
2011年3月 金沢市立米丸小学校 卒業
2014年3月 金沢市立高岡中学校 卒業
2019年3月 石川工業高等専門学校 建築学科 卒業
2019年4月 ㈱大林組 入職し4年間従事
2023年5月 政治家を志し、依願退職
2023年6月 国民民主党石川県連青年局長
小竹凱の沿革
誕生、幼少時代
石川県金沢市に5人兄弟の長男として生まれ育つ。
幼いころから運動が好きで、休日は朝から晩まで家の周りを補助輪付きの自転車で漕ぎ回っていたことを覚えている。
保育園のじゃんけん貨物列車大会にチョキ一本で優勝し、嬉しさのあまり父親に報告。
父親にも、じゃんけんを挑んだが、グーを出されて撃沈した。
金沢市立米丸小学校を卒業
金沢市内でもマンモス校の一つで、全校生徒が800人以上いた。
父親とキャッチボールをすることが好きで、野球に興味を持ち、地域の学童野球クラブ(米丸クラブ)に入部。6年生の時にはキャプテンを務め、県大会に進出した。
その他にも、習字とそろばんの習い事をした。毎日習い事があり、放課後に友達と遊んだ回数は数えるほどしかなかった。
習い事で身についた暗算と字の綺麗さは、今でも役に立っており、親にはとても感謝している。
金沢市立高岡中学校を卒業
中学もマンモス校で、同級生が260人程いた。
部活は野球部で、3年時にはキャプテンを務め、県大会に進出した。
入学時の身長は160㎝だったが、卒業時には182㎝まで成長した。
高校進学先を考える際に、大学に進学するよりも早く社会に出て働きたいという思いが強くなり、高校から専門的な分野を学べる国立石川高専への進学を決意する。
国立石川高専建築学科を卒業
こう見えて意外と模型製作などの細かい作業が得意だった。
高学年になるにつれてコンペや課題の量も増え、よく学校に泊まり込んで製図や模型づくりに励んだ。5年間同じだったクラスメイトと寝不足になりながらも、締め切りギリギリまで共に頑張った事は本当に良い思い出。
高専でも野球部に所属し、ポジションはキャッチャー。5年時の高専大会は北信越地区で優勝し、全国大会に出場。全国高専大会では3位入賞を果たした。
最後の文化祭では、ゴリエの女装をしてダンスを踊り、優勝した。こういう弾け飛んだ思い出も含め、振り返れば全て楽しい高専生活だったなと思う。
㈱大林組勤務
当時は東京五輪や大阪万博の建設がこれから始まるというタイミングで、建設業界は活況を呈していた。ランドマークになるような建築物に関わりたいという漠然とした思いから、ゼネコンに就職することを決めた。
在職4年間で6回の転勤を経験。駅舎やオフィスビル、工場などの現場で施工監理業務に携わる。東京の現場や地方の現場、大規模現場から1人現場まで、様々な経験を積んだ。
そこで出会った同期や仲間とは今でも交流があり、大切にしている。
特に印象的だったのは、地方の1人現場だった。職人の圧倒的な人手不足に直面し、人を揃えるのが精一杯だった。将来を見据えて、建設業界が持続可能かどうか危機感を感じた。ただ未来におびえるだけでなく、自らがこの問題を解決する方法を模索することを決意した。
政治家を志し、依願退職
自分が建設業界で直面した課題が他の業界でも発生していることを知り、根本から解決するためには政治を変えるしかないとの認識を持った。また、新型コロナ感染症の流行で不安と閉塞感が強まる中、政治が国民の不満や生活苦と向き合わない現状に我慢ならず、『やるなら今しかない』と政治家を志すことを決意した。この決断について両親に報告すると大反対をされたが、決心は揺るがず退職届を提出した。
国民民主党石川県連青年局長に就任
自分の考えともっとも合うと感じた国民民主党から将来は選挙に出たいと思い、石川県連の活動にボランティアとして参加。その後、党員となり、若い党員と石川県連青年局を立ち上げ青年局長に就任。
活動は主に、県内の街宣活動やポスティングなどを毎月行っている。
国民民主党石川1区衆議院公認候補予定者に内定
国民民主党が掲げる
・給料が上がる経済の実現
・人づくりこそ国づくり
・自分の国は自分で守る
これら理念を基盤に、国民の声に真摯に耳を傾け、社会の課題を解決するための具体的な政策を提案し、信頼に応えるために努力してまいります!